【糸島移住夫婦ブログ】のんびりまったり生活記

糸島の良さから夫婦のパートナーシップまで幅広く記事にしています

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ママ、断乳が寂しい

長女を出産して、約1年。

離乳食をよく食べ、間食までペロリと平らげる逞しい娘。

 

もうおっぱいも卒業かなと思い、夫と協力して断乳することに。

 

「もうそろそろおっぱいとバイバイだよ」と数日言い聞かせ

夜寝る前の断乳から開始する予定が、

たまたま朝昼も飲んでいなかったので

いっそのこと、今後の授乳は全て止めようということになった。

 

断乳して5日が経った。

 

今でも、ママに甘えたい娘がいる。

もちろんまだまだ赤ちゃんだ。

おっぱいを出せば、また吸い付いてくれるだろう。

 

でもまた断乳する時が来るのかと思うと、

5日間頑張っておっぱいを飲まなかった娘の努力を無駄にしない為にも

このまま断乳を継続しようと思う

 

辛いのは、娘ではなく、

むしろママの方

 

赤ちゃんは授乳することで、安心感を得るという。

それは、ママにとっても同じこと。

 

「私はこの子を育てているんだ!」

「この子は今、私がいないと生きていけない」

 

そういう思いが、ママの存在意義・価値を高めてくれる

そういう思いがあるから頑張れるし、ママは生きていていいんだと思う

 

おっぱいを卒業した娘。

まだまだ手がかかるけど、少しだけママの手が離れて

一人で居られるようになっている。

 

こうやって、いつの日かママの元から巣立っていくんだということが

今は寂しくて仕方ない。

 

 

「子どもが大きく羽を広げて巣から飛び立てる」

そんな環境を作ってあげるのが、親の役割だと思っている。

 

今、”小さい娘”の世話をしているが、その小さい娘は、将来の”大きくなった娘”からの預かりもの。

 

生まれて、どんな環境で生活し、どんな経験を積むのか

将来の娘からの大事な預かりものの”小さい娘”と毎日を大事に大事に過ごしている

 

寂しい・寂しいとこぼすママに、

「ママも一緒に成長しないとね」と夫。

 

本当にそうだなと思う。

 

ママだけ成長できずにいる

娘を小さい娘のまま、留めようとするママがいる。

 

ママという存在は、娘がこの世に誕生する”間”の存在

 

娘が何歳になったとしても、”間”の役割は終わらない

 

断乳という現象に対して、寂しい感情のせいで今日の大事な成長に目がいかなくならないように

娘と同じスピードで、一緒に歩んでいこう!

その日その日の成長を、その日その日の奇跡を、感動歓喜で生きていけるように!

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